義務感でセックスをすることの辛さ

先日、婦人科に妻と一緒に行き風疹の予防接種を行いました。

 

なんでも今30歳の私たちの世代は風疹の予防接種率がまだ低かったようで
予防接種をしていない可能性もあるとのことです。

また、予防接種を受けていた場合でも重複して予防接種を受けることになにも問題はないとのことなので受けてきました。

念のため事前に母に確認すると、男だったので受けさせていないとのことでした。むしろいい機会でした。

 

そのついでに妻は女性特有の病気の検査を行っていました。

検査が終わったタイミングで私も診察室に入り先生の説明を受けました。

検査の結果は1週間ほどで出るので、その時にまた来てくださいとのことでした。

そして排卵が適正に行われているかを確認したいので、週末のこの日かこの日にセックスをしてください。と言われました。

 

その時はまあそんなもんかと思い「はあ」と何となく気のない返事をしたのですが、家に帰って冷静に考えるとこれが結構大変なことだなと思いました。

そしてその思いはその日が近づくにつれてどんどんと大きくなっていきました。

端的に言えば面倒だなって思っていたんです。

 

確かに種の繁栄として子供を産むという事は何よりも大切なことです。

しかし人間には種としての最大目的の他にどういうわけか個別の本能も備わってしまっています。

食べたいから食べる。

寝たいから寝る。

セックスしたいからセックスする。

そういう本能に根差した行動を自分たちのコンディション如何に関わらず他人から強要されることの辛さ。

 

お腹いっぱいなのに、この時間にこれを食えと言われて食べなければいけないとか

たっぷり寝て目が冴えて活動的になっている時に、この時間から何時間寝ろとか言われているようなものです。

 

映画の「セブン」を見た後のような何とも言えない嫌な気持ちになります。

 

妻も同じ気持ちだったようで、大切なことだと分かっているけど何だか割り切れないみたいな複雑な表情をしていました。

しかも産婦人科の先生にこの日かこの日の2日間のどちらかという指定があったのですが、その内の1日は妻が泊りがけで朝から遊びに出て行ってしまう日なので、

実質ピンポイントの日程でセックスしなければいけなくなりました。

しかもその日は金曜日。

更に運が悪いことにお互いに友人との飲み会が予定に入っている日でした。

 

友人と楽しく過ごした飲み会終わりで1週間の仕事の疲れも出ている状態で家に帰って義務感でセックスする。

 

当日の朝なんて

「分かっていると思いますが、今日は夜にすることがありますので、飲み会ではしゃぎ過ぎず、お互いなるべく早めに帰りましょう」

なんて妻から声掛けをされたぐらいだ。

何故か敬語で。

ムードも何もあったもんじゃない。

 

大体こういう事は、お互いに内から湧き上がる衝動に任せて自然と行われるものだと思うのですが、人類の生存計画と個人の欲求はなかなか相容れないものですね。

 

当日、今日は早く帰ると友人に伝えると
「結婚するとやっぱり変わってしまうんだな」なんて口々に責められ、私自身も後ろ髪を引かれる思いで何とか22時過ぎに帰宅することが出来ました。

 

帰宅すると妻は寝ていました。

「寝たいから寝る」という意思がはっきりと見て取れる寝姿でした。

その姿を見て何故か頼もしいと思いました。

婦人科の先生にはその日は寝たいから寝ましたと伝えようと思います。

相手の嘘を100%見抜く方法

嘘を見抜く。そんなことが簡単に出来たらどれほど素晴らしい事だろう。

 

人間関係におけるトラブルのほとんどを回避できるのではないだろうか。

人間関係のトラブルだけでなく嘘を見抜くことは様々な場面で役に立つ。

 

実際にCIAは嘘を見抜く方法を常に研究し、正確な情報収集に役立てているそうだ。

巷でよくある嘘を見抜く方法なんかはあまり効果がない。

 

例えば「話を逸らす」とか「口元を触る」とか「やたら喋る」とかは確かに嘘をついた時の行動ではあるのだが、

嘘をついた時の行動には個人差があり、話を逸らしたからといって、それが100%嘘であるとは言えないそうだ。

 

嘘を見抜くにはその行動を観察する事に重きを置くのではなく、いかに相手を心理的に追いつめるかということが大切だとのことだ。

 

そもそも人間が嘘をつくにはかなり頭を使うので、思考能力をオーバーする質問をすれば、すぐにボロが出るということだ。

 

思考能力をオーバーさせる質問はとても簡単。

たった2つのことを質問すれば100%相手は嘘がつけなくなる。

 

例えば昨日、彼氏が浮気をしていたんじゃないかと疑っているとします。

 

①昨日あったことを最初から順番に具体的に答えてもらう

 

「昨日は朝から出かけて、○○君と駅で10時に待ち合わせして、電車で渋谷に行って、駅前のマクドナルドでお昼ご飯を食べて、道玄坂のカラオケに行って、夜に焼肉を食べて帰ってきた」

 

と彼氏が言ったとします。

 

これを踏まえて

 

②昨日あったことを今話した逆の順序で言ってもらう

 

たったこれだけで①でついた嘘が100%分かります。

色々な嘘のストーリーを具体的に話すことに思考能力の大部分が割かれているので、
このストーリーが嘘の場合、逆から話すことまで思考能力が追い付かず答えることが出来ません。

このストーリーが本当であれば、ただ単に昨日あったことを思い出すだけなのでスラスラ答えることが出来ます。

 

聞いている限りでは何だか出来そうです。

しかしやってみればわかりますが、絶対に出来ません。

特に嘘を見抜かれてしまったら自分に不利益なことが起こるプレッシャーがあれば尚更です。

この方法を使えば、相手の嘘を簡単に見抜くことが出来ます。

 

こういう事を知ると試してみたくなるのが人間です。

ということで実際に妻に試してみました。

妻が浮気しているとか妻に対して信用がないというわけでは全くありませんが、とにかく試してみました。

 

妻が友達とディズニーに泊りがけで遊びに行き、帰ってきた次の日にこの方法を試しました。

 

私「昨日なにしてたか朝から順番に教えて」

 

妻「は?めんどい」

 

私「な、なにしてたか、聞きたいなぁ…」

 

妻「チッ…ディズニーシー」

 

私「ディズニーシーでどんなアトラクションに乗ったか順番に教えてほしいなぁ」

 

妻「○○と○○と○○と○○」

 

私「へーそうなんだー。じゃあ昨日何に乗ったか逆の順番で教えてほしいなぁ」

 

妻「あ?今言ったやろ、一回で覚えろやボケ老人が」

 

私「…」


以上です。

マッチョをオカズにカフェオレを飲む妻

新婚旅行で妻とハワイに行った。

ビーチに面したホテルに宿泊した。

ホテルの宿泊客は無料でパラソルとビーチベッドとバスタオルを貸し出してもらえるため、少し時間が出来るたびにビーチに赴いた。

 

ハワイは日本人が多いとのイメージだったが、そうでもない。

当然と言えば当然だが沢山の外国人が私たちと同じようにビーチにいた。

そしてこれも当たり前のことだが、アジア系以外の外国人は皆一様に体がデカい。

日本人のようにひょろい人なんて一人もいない。

縦も横も日本人には中々いないサイズをしている。

 

そんなデカい外国人がホテル内を当然のように上半身裸で歩いていたりする。

普通なら、いくら目の前にあるビーチに行くとしてもTシャツぐらいは着そうなものだ。

何だったらタオルを肩に羽織るぐらいでもいい。

なるべく肌の露出を抑えようとしそうなものだが、彼らは違う。

 

出す。とにかく出す。

 

見ろと。マイボディーを見ろと。肉体言語で雄弁に語る。

 

女性は特に尻を出す。

いわゆるブラジリアンビキニというやつを着用している。

私の感覚からすれば、もう尻は全部出ていると思うぐらい出ているのだが
外国人の感覚からすればそれは違うのだろう。

多分、肛門さえ見えていなければ尻は見えていないぐらいの感覚なのだろう。

日本には「頭隠して尻隠さず」ということわざがあるが

それを外国人の感覚に当てはめると大変なことになりそうだ。

「頭隠して肛門隠さず」

とんだ変態野郎だ。

 

そんな変態野郎たちだから少々の視線にはたじろがない。むしろ堂々としている。

その姿を見て私のダイアモンドヘッドがアラモアナしそうだった。

 

私と妻がビーチから部屋に戻るためにエレベータに乗った。

妻はカフェオレを飲んでいた。

すると同じくビーチから部屋に戻る外国人男性2人が同じエレベーターに乗り込んできた。

この二人も例に漏れず、下は海パンに上は裸だった。

私は乗り込んでくる時にちらりとその二人を見たが、どちらもとんでもなく肥大した筋肉を携えていた。

 

私はエレベーターのボタンの前。

妻は入ってエレベーター入って真ん中後方、

その左右にマッチョ2人。

そんな位置関係だった。

 

妻からすると、

右を見ても左を見てもマッチョ。

前を見れば可哀想になるぐらい貧相なガリの私。

 

食い入るようにマッチョを見る妻。

左のマッチョを見てカフェオレをゴクゴク。

右のマッチョを見てカフェオレをゴクゴク。

前のガリは飛ばしてまた左マッチョ、そして右マッチョ。合間にカフェオレ。

まさに至福の時間だったとは妻の弁。

 

途中、左マッチョが妻の視線に気づいたらしい。

しかし動じることなく「Hi!」と爽やかに筋肉スマイルを浮かべてきたらしい。

妻は食い入るようにマッチョを見ていたことを恥じ、今度は帽子を目深にかぶり、マッチョをチラ見しだした。

 

左マッチョチラチラ、カフェオレゴクゴク。

 

右マッチョチラチラ、カフェオレゴクゴク。

 

何かが鼻から出そうだったとエレベーターを降りた後に妻に言われた。

それだけゴクゴク飲んでたんだから出るとしたらカフェオレだろと思った。

 

それ以来、妻はマッチョカフェオレにハマってしまった。

買い物ではなくビーチに行く回数が増え、好みのマッチョを見つけてはカフェオレをオーダーしていたようだ。

日本に帰ったらマッチョカフェを開きたいと語っていた。

私はとんでもないのと結婚してしまった。

デカい肉を食うという夢がある人は若いうちに叶えておけ

デカい肉を食う。


人間であれば誰だって、その原始的な欲求に逆らうことは出来ない。

 

はじめ人間ギャートルズで輪切りにされたマンモスの肉にかぶりつくように。

モンキー・D・ルフィ―が骨のついた肉を口いっぱいに頬張るように。

ジャックハンマーがステーキを一口で食べ、サクサクとTボーンステーキの骨まで食べるように。

とりわけ男の子なら一度は夢見るんじゃないだろうか。

 

「ああ…俺もでかい肉にかぶりつきたい」

 

そんな思いが頭の片隅に常にあった。

そしてその欲望を叶える日がついに来た。

 

先日ハワイに行ってきた。

ハワイでウルフギャングのTボーンステーキを食べる。

これはハワイの旅の最大の目的と言ってもいい。

もちろん一番の目的は友人の結婚式を祝う事なのだが、デカい肉を食べる事と天秤にかけてみてどうだ?

言わずもがな、そういうことだ。

 

入国審査で
「What's your purpose of your visit?」

と聞かれた時も

「 eat huge meat」

と答えたぐらいだ。

入国審査の屈強な黒人がこちらを見てニヤリと笑った。

「見た目はひょろいジャパニーズだが、なかなかビッグなソウルを持っているようだな」

そんな眼差しだった。

 

そもそもハワイに行かなくてもウルフギャングは日本にもあるじゃないか。

そういった意見もあると思う。

しかし考えてほしい。

アメリカでデカい肉を食う。

そのこと自体に意味があると私は思う。

京都の奥丹清水で湯豆腐を食べる。

それと同じだ。

これが理解できない人は旅行先でもイオンモールマクドナルドでも食べていろ。

何と言われても私はアメリカでデカい肉を食う。

 

分かっていたことだがウルフギャングはかなりの人気店で予約をしなければ入店できないほどだ。

事前に予約をしたのだが、それでも何とか取れたのが22時の席だった。予約を取った時の高揚感は今でも忘れられない。

中学生の時に大阪城ホールモーニング娘。のコンサートチケットを取った時以来の熱量だった。

デカい肉は全盛期のモー娘。に匹敵する。

 

予約の時間の五分前にハワイには似つかわしくない正装でウルフギャングの門を叩く。

一緒に行く友人をちらりと見る。

彼の目も血走っている。

なにせ今日は朝にアサイーボウルを食べて以来何も食べていない。

まるでダイエット中の丸の内のOLのようだ。

しかしこれから私たちは二頭の獣となる。

 

メニューのプライムステーキ(Tボーンステーキ)を指差し、

「This」

それ以上の言葉は要らなかった。

私達のあまりの迫力に店員は少したじろぎながら

「野菜は要らないか?」

と聞いてくる。

今度は友人が答える

「meat only」

彼も本気という訳だ。

 

注文してからステーキが運ばれてくるまで20分程だったが、その時の私たちには永遠に感じられた。

ステーキ用のナイフとフォークがテーブルに運ばれた。

いよいよだ。

私たちの目の前に巨大な肉の塊が置かれた。

店員が何かを喋っている。

「こっち側がサーロイン、こっち側がフィレね」

ごちゃごちゃとうるさい、肉の部位云々とグルメぶりたい奴は日本でお上品にチマチマと神戸ビーフでも食べてろ。

デカい肉を前にして御託は要らない。

 

脳が、本能が命令する。

 

「この肉を食い尽くせ」

 

田宮良子の言ったことが分かった気がした。

 

Tボーンの骨部分から既に肉は切り分けられているが、そのひと塊ひと塊がデカい。

握りこぶしぐらいある。

それをナイフで雑に切りかぶりつく。

見るだけで圧倒される巨大な肉

オーケストラを彷彿とさせる肉の焼ける音

鼻腔を刺激する肉の焼ける香ばしい匂い

切り分けた時のナイフの確かな感触

噛むたびに程よく歯を押し返し千切れていく肉の筋繊維

溢れ出る肉のソースと野性が目覚める肉の味。


視覚、聴覚、嗅覚、触覚、味覚、肉が五感すべてを駆け巡る。

デカい肉を食う。

それは根源的でシンプルな幸福だ。

 

ある種トランス状態で食べ始めること5分。

私の手が止まった。

 

「これ以上食べたくない」

 

その悲鳴は胃が満杯になって上げているものではなかった。

その悲鳴の出所は胸。

胸の辺りにドロドロとしたものが滞っている感覚がある。

 

胸やけだ。

 

老いはこんなところにもくる。

まだまだ肉はその巨大さを称えている。

 

急激に来た不快感にグロッキーになり、助けを乞うように目の前にいる友人を見る。

頼みの綱の友人は青ざめた表情でテーブルの端を見つめていた。

あれだけの肉を食べたはずなのに、少し頬がやつれて見えるのは気のせいだろうか。

 

私たちの食事の手が止まっているのを見るや否や、陽気なホールスタッフのケヴィンがこちらにちょっかいをかけてくる。

ニヤニヤしながら

「onemore onemore」と肉を勧めてくる。

「I can't eat anymore」と許しを乞う私たちを無視し、無慈悲に皿に貯まった大量のドリップをかけて特大の肉をサーブするケヴィン。

「eat and be big」と友人の肩を叩くケヴィン。

ケヴィンにとってはポンポンと軽く叩いたつもりなのだろう。

しかし枯れ枝のような友人の体にとってはかなりの衝撃だった。

一撃ごとにピンボールのように左右に体が吹き飛んでいた。

 

そうだ、なぜこんな単純なことを忘れていたんだろう。

私も友人も「大食い・ワイルド・筋肉」そんなワードとは程遠い帰宅部だった。

これだけの量の肉を食べられるわけがない。

加えて私たちはもうオーバー30。

体が油を受け付けないのだ。

 

結局私たちは1時間以上をかけて、何とかその忌々しい肉の塊を胃の中に押し込んだ。

もう何も考えられない。

いや、一つだけ思い浮かんだ。

多分友人も同じことを思っていただろう。

 

「デカい肉を食うという夢がある人は若いうちに叶えておけ」

 

 

私はディズニーは好きだが、ディズニーに対する温度差に鈍感な人は嫌いだ

先日、友人の結婚式に出席するためにハワイに行ってきた。

航空券代から宿泊費までその友人が払うと言っていたのだが、流石にそこまで甘えるわけにはいかない。

なによりこれから先、なにかと要り様になるだろう。

そう思って「航空券から宿泊費はこっちが持つ、その代わり祝儀は無し」

友人と話し合ってそう決めた。

他の招待されている友人達も同じように考えていたらしい。

むしろ羽を伸ばすいい機会だ。こちらもハワイは楽しみなのでそこはお互い様だ。

 

当日、式は滞りなく終わった。

ハワイの気候と同じくらい、穏やかで温かな気持ちになれる素敵な式だった。

遠いところ悪いなと言う友人を皆でからかい、なんだか学生時代に戻ったようでとても楽しい時間だった。

 

ほとんどの友人達が有給を休日と繋げるように取っていたので、そのままハワイに滞在し、皆で旅行を楽しんだ。

友人の一人がアウラニにあるディズニーリゾートで買い物がしたいというので何人かで車を借りて現地に向かった。

私も同行した。

 

そこはディズニーホテルとプールとビーチが一体となったまさにリゾートと言える場所だった。

ホテル内にあるディズニーショップでハワイ限定のディズニーグッズが買えるらしい。

友人のお目当てもその限定グッズ。

HawaiiやAulaniとプリントされたディズニーグッズを喜々として買い込んでいた。

ホクホク顔で満足気な友人は帰りの車内で如何にこのグッズに価値があるかを語っていた。

コンクリートジャングルの日本であれば、聞くに堪えない内容だっただろう。

しかしここは常夏の島ハワイ。

友人が満足そうで良かった。

ハワイの気候にあてられて同行していた私たちは寛容な精神で友人の熱弁を聞いていた。

 

楽しい時間はあっという間に過ぎるもので気付づけばハワイから帰る日になっていた。

皆、思い思いに羽を伸ばし、明日からの仕事の英気を充分に養った。

しかしディズニー好きの友人だけ表情が暗い。

どうしたのかと思い、その訳を聞いてみると

「ハワイ限定の衣装のダッフィー人形を買うのを忘れていた」とのことだ。

 

幸い滞在していたホテルからディズニーリゾートまでは近く、ササッと行って帰ってくれば飛行機の時間にも間に合う。

最終日はお土産を買う事を予定していたのだが、既にお土産を買い終えて暇だった私はその友人の希望で同行することにした。

時間に余裕があるとはいえ、空港にはなるべく早くついて搭乗手続きをしておきたい。

友人もそれは分かっているとのことだったのでスムーズに買い物が終わると思っていた。

しかし、ことダッフィー選びにおいてスムーズに買い物ができるという事はないと知っていてほしい。

 

私は初めて知ったのだが、ダッフィー人形は一つ一つ微妙に顔つきや体のニュアンスが違うようだ。

これはパーツごとに流れ作業で作り、最後にそのパーツを組み合わせて仕上げるため全く同じものを作れないという事に起因しているらしい。

 

そもそもダッフィー人形とはミニーマウスがミッキーマウスに送ったぬいぐるみという由来のようだが
「流れ作業で」とかメタな作業内容を言われてしまうとファンタジー感が一気になくなってしまうように私は感じてしまう。

しかしそこは「世界に一つしかない」とか言い替えることによって一気にスペシャル感を演出してくる。

ディズニーの演出力には舌を巻くばかりだ。

 

一つ一つ違うということにより何が起こるかというと、自分のお気に入りの子を見つける工程が発生するということだ。

普通の買い物ではまず無い工程だ。

そもそもダッフィーを選ぶときに何故か皆一様にダッフィー人形に対して「この子」という表現を使う。

「この子は目の位置が可愛い」

とか

「この子の口元がちょっとダメ」とか

その辺の薄ら寒さを当人たちは気付いているのだろうか?

 

私の友人もその例に漏れず、ダッフィー人形を選んでいる。

いや、厳選しているという表現の方がしっくりくるぐらいの入れ込みようだった。

飛行機の時間が迫っているというのに。

 

そしてお決まりの台詞


「この子とこの子どっちがいいかな?」


答えは決まっている


「知らねえ」だ。


しかしダッフィー人形を真剣に選んでいる人間にこんなことを言うと、その人にはまるで私が極悪人かのように写るようだ。

こんなにかわいい子たちを選ぶのにそんな冷酷でいるとか人の心を持っているの?そんな風に思うらしい。

だからなるべく、努めて平静を装ってこう答える

 

「こっちがいいんじゃないかな」

 

そうすると

 

「あーでもこの子(3体目)は全体のバランスが一番いいー」

 

意味も終わりもない労働を強要させられている気分だ。

穴を掘ってその穴を埋める作業をさせられた囚人もこんな気分だったのだろう。

 

時間も迫っているので何故かダッフィー人形を選ぶ理由をこっちが用意することになる。

 

「この子はどう?顔立ちが何となく君に似てない?」なんて言ってみる。

 

「うーん…私、もっと目がぱっちりしてるよ、この子じゃないかなー」

 

私が何らかの武術の達人でない事に感謝した。

鍛え上げた武をためらいなく叩き込んでいただろうから。

どうにかダッフィー人形を選び、飛行機の時間に間に合った。

 

私はディズニーは好きだが、ディズニーに対する温度差に鈍感な人が嫌いだ。

常夏の島ハワイの温暖な気候でも、カバーしきれないものはある。

税務署よ、いい加減にしてくれ

税金のことで用事があり税務署に行った。

手続きをしてもらっている間、近くの席に座って待っていた。

すると職人の方が近づいてきて、税務署に対するアンケートに協力してくださいとアンケート用紙を手渡してきた。

 

待っている間、特にすることもなかったのでアンケート用紙を埋めていった。

アンケートの内容は職員の応対や説明について5段階で評価するもので

最後の項目に税務署に対する要望や不満を記載するフリースペースが設けられていた。


私はアンケートにおいて、こういうフリースペースは

「書き忘れたんじゃなくて特筆することがない」

という事を伝えるために
「特にありません」

と書くようにしている。

いつものように「特にありません」と書こうとしたときに違和感に気付いた。

 

紐が短い。

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これは実際のアンケートではないが、こんな状態だった。


一体どう書けというのだ。

紐の長さはいっぱいいっぱいで、ピンと張っているので常に上方向に力が働いている状態で書くことを強いられる。

このアンケートを作った人は実際に自分でこのアンケートを書いていないだろうことが予想される。

この税務署への要望の欄は「特にありません」と書こうと思っていたが、

「紐を長くしてください」と書いてやろうかとも思った。

しかし実際に書こうとすると書きにくい事この上なく、ストレスが半端ではなかったので何も書かずに出した。

 

それとも何か?

ボールペンが紐でくくられているから、この範囲しか動かせないという固定観念に囚われず、

例えば紐を外してから書くなどの柔軟な思考が出来るのかを試しているのか?アンケートに見せかけて。

メンインブラックのエージェント試験の時のウィル・スミスじゃないんだから税務署がそんなことを試さないでほしい。

私は納付書が欲しいだけなんだ。

 

それにしてもこのアンケート、うまく作ったものですべての項目を埋めてから最後にこんなトラップがある。

この手のアンケートはすべて「非常に良い」の項目にチェックを入れるのだが、今回もそのようにした。

「非常に良い」と評価さえ貰えば後は知ったことかという態度が透けて見える。

最後の最後で紐が短いという罠。

その罠に気付いた時にはもう遅い。

配布物の内容についての項目は「非常に良い」にチェックされている。

「いかがでしたか?」なんて、よくもいけしゃあしゃあと言えたものだ。

 

あまり言い過ぎて腹いせに税務調査に入られても困る※

なので税務署への要望はただ一つ。

「調査の際はお手柔らかに」これだけだ。


※もちろん腹いせに税務調査なんてことはありません

正月に妻の実家に行きたくない

正月の過ごし方を妻と話し合った。

 

今まで他人だった者同士が精神的な結びつきはあるものの、

紙一つで強引に一つの家族となるのだから習慣が違うのは理解していたつもりだった。

 

しかし結婚してから初めての正月をどう過ごすかについて話し合った結果、ここまで違うものかと思った。

 

私の家の正月といえば、1月1日は実家で過ごす。特に親戚が集まることはない。

まず朝食は各々が用意して食べる。

お昼になるとお節料理とお雑煮が食卓に並ぶので、そこで初めて家族そろって一緒に食事をする。

ちなみに家族が全員そろって食事をするのは1年の内この時だけだ。

それだけが我が家の正月の恒例行事なので、この日これ以降は家族で行動することはない。

 

そして2日・3日にそれぞれの祖父・祖母の家に行き新年のあいさつをする。

これも各々が好きな時にバラバラに行く。

そしてこの時はお節料理やお雑煮を食べることはない。

要するに親戚付き合いは極めて希薄で、家族のイベント事に無関心な家庭なのだ。

そんな家庭で育ったので、年末年始だからといって特に何か家族でしなくてもいいんじゃないかと私は思っている。

新年の挨拶をして、ちょっと一緒にお茶を飲んだらそれで解散くらいでいいかと思っている。

実際に両親に正月どうしたらいいか聞いてみたところ

「別に来たかったら来たらいいんじゃない?でもあんまりベッタリっていうのもお互いねえ…」

となんともドライな返答だった。

 

しかし妻は違う。

妻の家は1月1日から2日にかけて妻の祖父の家に行く。

そこには妻の祖父・祖母・妻の両親・妻の叔母家族・妻の兄家族が一緒になって新年を祝うそうだ。

1日の昼から祖父・祖母の家に行きお昼ご飯を一緒に食べる。

その後リビングで一族そろってくつろぎながら近況報告をするそうだ。

「お昼ご飯を食べてお腹いっぱいの状態でホットカーペットが敷かれたリビングでくつろいでいると眠くなって寝てしまう。気付いたら皆でお昼寝してたよ」

とは妻の言葉。

そして夜は一族そろって食卓を囲み鍋を食べる。

その後はまたリビングでくつろぎ、順番に風呂に入りそれぞれのタイミングで寝る。

 

次の日も一族で朝食を共にして初詣に行き、毎年恒例の和食屋に行き昼食を取る。

その後、各々で解散する。

これが妻の年始の過ごし方だそうだ。

 

ここに自分が参加することを想像しただけで眩暈がする。

なんというか家族の濃さに胸やけしそうだ。

 

一つ一つ胸やけポイントを整理していくと、

集まる親戚の数が尋常じゃない。

私の結婚式でもここまで集まらない。

私と妻を入れて集まる人数を数えると総勢11人。サッカーでもやるのだろうか。

妻の叔母家族なんて絶対に話す話題がない。

妻がトイレに行っている間、私は一体何を話せばいいのだろうか。

妻の祖父は国鉄の職員だった方で、誰に対しても(特に若い人には)国鉄時代のストライキの話をエンドレスリピートするらしい。

「次の正月の時、おじいちゃんの生贄は君だね」

と妻の兄に言われた。

妻の祖父は私達の村を脅かす魔物か何かですか?

 

皆でリビングでくつろいで、昼寝までする。

絶対に出来ない。まずくつろげる瞬間は来るのだろうか?いや、ない。

家族間の悲劇はこういう所から生まれる。

なぜ気付かないのだろうか。

妻やその家族にとっては、そもそも親類縁者であるし、その距離間で付き合う空間に何の遠慮も違和感もないのだろうが、私は違う。

「自分がこう感じるのだから、相手もこう感じるだろう」

そういうことではない。

人にはそれぞれの価値観がある。しかし何故かそれを見落としてしまう人がいる。

意外と見失いがちな視点だ。

今、その見失われた視点により悲劇がまたここに。

全く知らない、しかも向こうは血の縁がある所に単身乗り込んでいく私の気持ちを推し量ってほしいところだが、どうもそうはならないようだ。

そんな空間で昼寝。しっかりお布団に入って暗くしないと寝られない私が寝られるとは思えない。

皆が寝てしまって妻の叔母と二人きりとなったらどうすればいいのだろう。

結婚生活の秘訣でも聞けばいいのだろうか。そんな話題、10分も持てばいい方だ。

 

夜には皆で鍋をつつく。

私は潔癖ではないので、例えば友人達と鍋をつつくことに抵抗はないが、この状況ではどうだろう。

同じ鍋で食事できるかどうかは、なんとなくだが、どの程度打ち解けられているかが指標になるような気がする。

そしてその指標で言えば多分アウトだ。ギリギリではなく結構はっきりとアウトだ。野球だったら「リクエスト」の申請もしないぐらいのアウト具合だ。

そういえば、妻の義理の姉(妻の兄の妻)は私と同じ立場だ。

前の正月から参加しているようで、唯一私と同じ思いを共有できる仲間だと思ったので、

妻に「君の義理のお姉さんはどんな感じだった?」と聞いてみた。

すると昼寝もしてたし鍋もモリモリ食べていたとのことだ。

孤軍奮闘。

何故かこの四文字が私の頭の中に浮かんだ。

 

地味に嫌なのがお風呂の順番と寝る環境についてだ。

妻の祖父や祖母は早くに寝るそうなので必然お風呂も最初に入るのだろうが、

おそらく私は早めの順番で入るように促されるだろう。

風呂は自分のタイミングで入りたい。

そして寒い時期は風呂に入った後すぐに温かい体のまま布団に入りたい。

こんなことすら自分の思い通りにはならないだろう。

そして次の日の朝、洗面をするのは?髭を剃るのは?髪を直すのは?

他人の家、しかも姻族の家を自分勝手に使うことが憚られてしまう。

行動のいちいちに気を使ってしまい気疲れすることだろう。

 

そして妻の祖父の家に行ってから24時間。

ようやくここで解散だ。

海外ドラマの24は手に汗握る名作だが、こっちの24も色んな所から汗が出そうな名作となっている。

 

私と同じ感覚を持っている母にこの事を伝えると一言

「頑張って」

と言われた。

 

私は常々、色々な事にこだわりがないと言ってきたが

こだわりがない人がこだわりがある人に合わせる事に疑問を抱いている。

私には「こだわりがない」というこだわりがあるのだ。

だからこだわらず適当に過ごすというこだわりに合わせてほしい。

なんて屁理屈をこねている、実際に妻に言うと大喧嘩になる事は目に見えているので言わないが。

 

つまり色々と言っていたが要するに正月に妻の実家に行きたくない。